
先日、『プラダを着た悪魔2』についてブログを書いた。
書いたあとで、ふと昔のブログを読み返してみたら、前作の『プラダを着た悪魔』について、一言だけ書いている記事を見つけた。
そこには、こんなことを書いていた。
おそらく、この映画は若い女性に人気がある映画なのだろう。
ファッションもストーリーも申し分なくお洒落で、BGMも素晴らしい。
しかし、私と同世代の男達に観て欲しいのである。
感性や感覚。
そして、気づき。
家庭や職場でためになる、人生のヒントがそこにある。
そんなことを、当時の僕は書いていた。
さらに、その1ヶ月後くらいには『ファッションが教えてくれること』という映画についても書いていた。
『プラダを着た悪魔』のモデルとも言われる、米国版ヴォーグ誌の名物編集長、アナ・ウィンター。
完璧主義者として恐れられる存在。
そんな彼女の働きぶり。
そして、その奥に潜む仕事に対する真摯な姿勢。
共に働くスタッフのドタバタ。
僕はその映画を、リアル・ワーキング・ムービーとして観ていた。
今になって読み返すと、少し面白い。
当時の僕は、このふたつの映画を、ただのファッション映画として観ていなかったのだと思う。
華やかな服。
洗練された音楽。
ニューヨークの街。
お洒落な世界。
もちろん、そういう魅力もある。
けれど僕が反応していたのは、たぶんそこだけではなかった。
その裏側にある仕事。
誰かの真剣さ。
理不尽にも見える厳しさ。
それでも前に進んでいく人たちの姿。
そういうものを、当時の僕は見ていたのだと思う。
そして今回、20年近く経ってから『プラダを着た悪魔2』を観た。
前作を観た頃の僕は、どちらかと言えばアンディだった。
厳しい世界の中で、必死に食らいつきながら、自分の居場所を探していた。
けれど今は、少し違う。
どこかでミランダの側から物語を見ている自分がいる。
守ってきたもの。
積み上げてきたもの。
人に厳しくしてしまう理由。
そして、いつか訪れるかもしれない引き際。
昔のブログに残っていた短い文章は、今の自分につながる小さな伏線のようにも思えた。
同じ映画を観ているようで、観ている自分の立っている場所が変わっている。
でも、見ているものの芯は、案外変わっていないのかもしれない。
僕にとって『プラダを着た悪魔』も『ファッションが教えてくれること』も、ファッション映画である前に、ずっと仕事の映画だったのだと思う。