豊かさについて
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子供の頃、豊かさというのはもっと分かりやすいものだと思っていた。
高級車に乗るとか。
海外へ行くとか。
欲しいものを好きなだけ買うとか。
そんなイメージだった気がする。
もちろん今でもそれらを否定するつもりはないけれど、五十歳を過ぎた今、自分が感じる豊かさは少し違う。
先日、奥さんと二人で大阪と京都へ行ってきた。
目的の一つは靴だった。
大阪でローファーを探し、奥さんも僕も納得のいく一足を選ぶことができた。
面白かったのは靴そのものよりも店員さんとのやり取りだった。
足を計測し、一足だけ持ってきてくれて、
「ご主人はこれでいいですね。」
そう言った。
昔の僕なら、もう少し小さいサイズも試したかもしれない。
履き馴染みを理由に、少し我慢するようなサイズを選んだかもしれない。
でも今は違う。
店員さんと話しながら、
「もう普通がいいんですよ。」
そんな言葉が自然と出てきた。
大阪での買い物を終え、京都へ向かった。
京都では以前から気になっていた「はせがわ」という珈琲店を訪ねた。
店に辿り着いても、本当にここで合っているのか分からないほど静かな入口だった。
扉を開けると、四年前に東京で訪れた蕪木で過ごした時間を思い出した。
けれど帰る頃には、僕の中に残っていたのは蕪木ではなく「はせがわ」だった。
会計の際、店主の方が
「何で知ってくださったんですか?」
と尋ねてくれた。
その言葉が何だか嬉しかった。
僕も素直に、四年前に蕪木へ行ったことや、直島でコーヒー屋を営んでいることを話した。
本当に些細な会話だったけれど、心に残った。
翌日は早起きして東本願寺へ行った。
何必館では近代芸術家の書を眺めながら、ただぼんやりと時間を過ごした。
何かを学ぼうとか、理解しようとか、そんな気持ちはなかった。
ただそこにいた。
そして、それが良かった。
大阪や京都から帰ってきて、友人に今回の旅の話をした。
すると途中でふと思った。
「これ、岡山や高松で過ごす時と同じことやってるわ。」
町中華でご飯を食べて、
喫茶店でコーヒーを飲んで、
本屋へ寄って、
靴を見て歩く。
場所が大阪や京都に変わっただけで、やっていることは普段と変わらない。
でも、それが今の僕には心地いい。
若い頃は、もっと広い世界に憧れていた気がする。
けれど今は、世界を広げることよりも、深めることに興味があるのかもしれない。
好きな本を読む。
好きな喫茶店へ行く。
気に入った靴を長く履く。
そんなことを繰り返している。
帰宅してから気付いたことがある。
今回の旅は、仕事と休みを分けていなかった。
靴屋の接客に感心し、珈琲店で店づくりを感じ、本屋で川端康成を買う。
それらは仕事なのか、遊びなのか。
よく分からない。
全部が少しずつ混ざり合っている。
以前、「時間を溶かす」という言葉を聞いたことがある。
今回の旅は、まさにそんな時間だったように思う。
大阪と京都から帰ってきた翌日、僕は一日中家にいて映画を二本観た。
それもまた旅の続きだった。
子供の頃に思い描いていた豊かさとは少し違うけれど、
コーヒーを飲みに京都へ行き、
気に入った靴を選び、
ぼんやりと本を読み、
またいつもの毎日に戻ってくる。
そんな暮らしを、今は少し豊かだと思っている。