アカイトコーヒー は瀬戸内海の小さな島『直島』で朝7時から営業している早起きなお店です。

※映画『ナギダイアリー』の内容やラストシーンについて、一部触れています。

9月28日の朝、妻と二人で6時40分発のフェリーに乗って直島を出た。

目的地は岡山。

この日、シネマクレールで10時から上映される『ナギダイアリー』を観ることにしていた。

上映まで少し時間があったので、近くの喫茶店「ダンケ」へ向かった。

ダンケにはこれまでにも何度か行っている。

高齢のお母さんが切り盛りしていて、いつ行っても同世代らしい常連さんが何人かいる。

新聞を読んでいたり、コーヒーを飲みながら世間話をしていたり。

観光客向けに作られた「昔ながらの喫茶店」ではなくて、今もちゃんと誰かの日常の中にある喫茶店。

そういうところが好きだ。

僕たちは二人とも、ホットコーヒーとサンドイッチのモーニングを注文した。

これで600円。

うちより安い。

そんなことを妻と笑いながら話していた。

しばらくすると、カウンター席のほうからお母さんと常連さんの会話が聞こえてきた。

「人間、80歳を過ぎると一気にガタがくるわ。70代の頃はそんなことなかったけどなあ」

「79歳でも違う。80歳になったら、ちょっと色々しんどくなったわ」

それに別の人が、

「そうそう」

「ほんまになあ」

と相槌を打っている。

僕たち夫婦も、お互いに50歳を過ぎてから、以前より年齢の話をすることが増えた。

店も10年目になり、長く続けるために無理をしないことや、その先にある店の終わらせ方みたいなことも、ときどき話すようになった。

「もう50歳を過ぎたんだから、若い頃とは違うよな」

そんなふうに二人で言っていた。

でも、ダンケで80代の人たちの話を聞きながら、

「50歳で年取ったなんて言ってたらダメだな」

「まだ20年以上あるじゃん」

と、妻と笑った。

僕たちが若いスタッフや学生さんに、

「若いんだから何でもできるよ」

なんて言うことがある。

今朝は、それを80代の人たちから自分たちに言われたような気がした。

一時間ほどゆっくりして、シネマクレールへ向かった。

9時30分の開館に合わせて9時20分頃に着くと、すでに7、8人ほどが外で待っていた。

全員、僕たちより年上に見えた。

60代後半から70代くらいだろうか。

男性も女性もいる。

『ナギダイアリー』だからなのか。

シネマクレールという場所だからなのか。

朝10時という時間だからなのか。

それはよく分からない。

ただ、スターバックスからイオンシネマへ向かう朝とは、明らかに違う。

どちらが良いとか悪いとか、そういう話ではない。

ただ、その日その場所に流れている時間が違う。

そんなことを思った。

映画が始まった。

感想をひと言で言えば、

「よかった」

になる。

それではあまりに薄っぺらいような気もするけれど、観終わった直後に残った言葉は、本当にそれだった。

松たか子さんのスタイリングがとても良かった。

東京からやって来た石橋静河さんとの対比も良かった。

田舎で暮らす人と都会で暮らす人。

ただ住む場所の違いだけではなく、その人がどんな仕事をして、どんな速度で毎日を過ごしているのか。

服装だけで、そこまで見えるような気がした。

そして、映画の中に出てくる日めくりカレンダーが妙に気になった。

朝起きて一枚めくる。

昨日が終わり、今日が始まる。

一日一日を丁寧に暮らすための小さな儀式のように見えた。

家にも置いてみようかな。

そんなことを一瞬思った。

でも考えてみれば、僕にも似たようなことはすでにある。

毎朝、港まで歩く。

住吉神社で手を合わせる。

Instagramに「おはようございます」と投稿する。

どれも大げさなことではない。

昨日から今日へ切り替えるための、小さな習慣だ。

映画の中には、同性愛や家族、人との距離、生き方といった、決して軽くはないテーマもある。

でも、それらを大声で説明するような映画ではなかった。

淡々と日常が流れていく。

だからこそ、観ながら、

「自分ならこうかな」

と思ったり、

映画館を出てから、

「ああ、でも、こっちもありだな」

と思ったりした。

どれか一つが正解というわけではない。

その人にはその人の暮らしがある。

その人にはその人の場所がある。

僕がラストを観ながら思ったのも、そんなことだった。

友梨には東京へ帰ってほしい。

奈義町に住み着くのでもなく、誰かと新しい暮らしを始めるのでもなく。

東京で自分の生活を続けてほしい。

ただ、奈義町という場所が、寄子の家が、好浩という人が、

「いつでも寄れる場所」

になっていてほしい。

住む場所は別にある。

でも、帰れる場所が一つ増えた。

そんな終わり方であってほしいと思った。

これはたぶん、僕自身の暮らしを重ねているだけなのかもしれない。

僕は直島を「立ち寄る場所」だと思っている。

ただ、それは僕自身にとって、という意味ではない。

少なくとも今の僕と妻にとって、暮らす場所は直島だ。

僕にとっては生まれ育った故郷でもあり、妻と二人でアカイトコーヒーを続けている、今の自分たちの場所でもある。

『ナギダイアリー』で言うなら、僕たちは友梨ではなく、どちらかといえば寄子の側なのだと思う。

そして『ビーチボーイズ』で言えば、広海や海都ではなく、勝さんの側に近い。

あの民宿と海が勝さんの場所だったように、僕たちにとっては直島があり、そこにアカイトコーヒーがある。

もちろん、

「直島は俺の島だ!」

なんてところまでは、とても言えないけれど。

僕たちは今、ここにいる。

ここを自分たちの場所として暮らし、店を続けていく。

でも、ここを訪れる人たちまで、この場所に留まる必要はないと思っている。

それぞれに暮らす場所があり、それぞれの人生がある。

しばらく直島にいた人も、アカイトコーヒーで働いてくれた人も、いつか自分の場所へ戻っていけばいい。

そして何年か経って、

「ちょっと直島に行こうかな」

と思ったときに、また立ち寄ってもらえたらいい。

久しぶりに帰ってきたとき、

「ああ、まだここにあるな」

と思ってもらえる場所でありたい。

僕が昔から好きなドラマ『ビーチボーイズ』も、たぶん同じだ。

あの民宿と海は勝さんの場所であって、広海と海都にはそれぞれの海がある。

立ち止まる場所はあっても、そこに留まり続ける必要はない。

それぞれ自分の場所へ戻っていけばいい。

そして、ときどきまたあの海へ帰ってくればいい。

『ナギダイアリー』を観ながら、そんなことを考えた。

映画が終わり、外へ出た。

朝、ダンケで80代の人たちに、

「まだ若いよ」

と言われたような気がして、

映画の中では、

「暮らす場所は一つじゃなくてもいい」

と言われたような気がした。

朝6時40分に直島を出て、喫茶店でモーニングを食べて、映画を一本観ただけ。

それだけなのに、少しだけこれからの時間が長くなったような気がした。